【第四話】国税局ダイエット

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国税局査察部登場

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「下痢ダイエット」をご覧の方は理解できると思いますが、あれから十月十日、立派な男の子が誕生しました。しかも私そっくりの男の子。めちゃめちゃ可愛いかったですね。

私自身丸くなった、と言いたいところですが、実はそうでもありません。むしろ遊びに拍車が掛かったような…そんなイメージがあります。

ダイエットの話題より、またお金の話題になってしまいますが、相変わらず仕事をたくさんして、たくさんの収入がありました。会社から支給される給料は嫁に全額渡して、副収入は自分のものにしていました。

えっ?何?下痢ダイエット最後のところが知りたい?

なるほど、そうでしたね。どうやって彼女と別れたのかを書き忘れてしまいました。これはですね「引っ越しするから出てってくれ」ですね。本当にひどい男です。

今より少し狭くなるから、一緒に住めないかも、と。更には、家賃払えない後輩もうちに住ませる予定だから、とか。そんな嘘をでっち上げました。

しかし池袋は狭いですからね。色々噂が回り回って、真実を彼女が知ってしまいました。その時のメールが怖かったなぁ。

「どこにいるの?お祝いしたいから会おうよ」でした。

怖っ。無理です。お祝いという名のビンタかもしれません。悪かった、とだけ返信して、しばらくは取り合わないようにしました。

でも数ヶ月後、六本木のキャバクラで遭ってしまいました。池袋から移ったんでしょうね。彼女、本当に怒ってなかったですけど、3日はごはん食べれなかった、と言われました。

彼女は「失恋3日断食ダイエット」をしていたことになります。と、うまくまとめましたが、それでは話の続きをしましょう。

家族ができた訳ですから、土日は仕事をせずに、家族サービスをするようになりました。子供がかわいくて、かわいくて。本当に癒されますよ。

デキ婚でも、順序が違っても、子供はかわいいものです。自分の分身ですからね。この子の為にもっと頑張ろうという気持ちになりますよ。

そして土日は家族、というルールを設けたので、逆に平日は何も文句言わないで、と嫁には伝えました。嫁も私の商売や付き合いなど理解してくれましたから、そこは大丈夫でした。

家族ができると、仕事に対する意欲も変わってきますよ。仕事の方も絶好調で、デスクには子供の写真を飾ったりして。非常に充実した毎日が送れていました。

仕事の方が絶好調だといけないお金も動くことになります。私の副収入のことです。しかし現金で受け取っていたので、表に出ることのない金だと認識していました。

しかしその認識が甘かったですね。いくらそのようなお金でも、きっちりと申告しなければなりません、日本のルールは。

30歳になろうとする頃、実に自宅のウォークインクローゼットにある金庫に現金で1,600万円入っていました。世に出してはいけないお金を世に出さず、本当にタンス貯金をしていたのです。

もう今はそんな金ありませんから、全部さらけ出して言いますが、現金1,600万円以外に、個人口座で500万円、嫁の持つ口座に300万円入っていました。

家賃も24万円のところに住んでいましたが、そろそろバカバカしいのでマンションでも買おうか、という話をしていた頃に、それはやってきました。

FMiさん(@fmy_fmy)が投稿した写真

国税局査察部です。警察と同じ権威を誇る合法ヤクザです。手ぶらでは帰らず、現金、もしくは金目のもの、そして仕事に関する書類やパソコンは全部持って行きます。

私の自宅と、勤めていた会社に朝9時に突入してきました。朝9時はまだ出勤前で子供と戯れていた時間でしたが、自宅インターフォンが鳴りました。

嫁が対応して「国税局だって」と一言。「は?」と私。12Fでしたが、数分して間もなく玄関ドアを激しくノックする音。

何のことか解りませんので、とりあえず開けると刑事ドラマなどで見る逮捕状みたいな感じで白い紙をバァと見せつけてきました。裁判所が発行した捜査令状ですね。

「東京国税局査察部です。これより強制捜査に入ります」

次の瞬間、身柄を抑えられてリビングで座ってろ、みたいな感じで促されました。風呂、トイレ、シューズボックス、キッチン、子供部屋、全て調べていました。

そして寝室…ここにウォークインクローゼットがありましたが、しばらくして捜査員は金庫をリビングに持ってきました。

「お手数ですが開けて頂いてよろしいですか?」

そして中からはもちろん現金が。白い手袋をはめた捜査員は生々しくも現金をリビングのテーブルに乗せ、写真に撮り「動かないでください」と言い、再び自宅を捜査していました。

同じ頃、勤めている会社の社長、部長宅にも査察部は訪問していて(私は課長)それぞれ電話でやりとりしました。とりあえず急いで出社、会社集合で話しよう、ということになりました。

追徴課税なんと2,200万円!

税金
我が家に来た捜査員は5人、2LDKで5人。本当に奴らの執念は凄い。ベランダにあるエアコン室外機や換気扇裏までチェックしていました。

ひとまず捜査が終わったようで、また紙が出てきてサインを求められました。この紙は、押収したものをしばらく預かるよ、場合によっては返せないものもあるからね、的なものの
でした。

国税局も警察も同じなのですが、内偵捜査が入っている案件に関しての「強制捜査」「逮捕」に関しては、午前9時というのが通例です。これは容疑者(対象者)が気付いていない、逃げる恐れが無い場合に限ります。

私も色々勉強しました。まさかこんなことになるなんて思いもしませんでしたから、今後はそういったことが起きないように勉強です。

さて、会社に到着すると、別の国税局査察部の人間が待ち構えていました。強制捜査と言えども任意ですので、ひとまず主要関係者が社長室に集まりました。

私  「社長、自分1,600万円持って行かれました。戻って来ますかね?」
社長 「なんでそんな金があるの?」
私  「いや、こうこうこうで…」
社長 「それにも税金掛かっちゃうよ。それ何年やったの?」
私  「ここに移動してからです」
社長 「…たぶん戻ってこないな。更に取られるかも」
私  「マジすか…」

どうやらうちの会社が悪いのではなく、私に現金を渡しているお客さんが根源だったとのこと。そこで一番お金の取引額が高かったうちの会社の調査を始めたら…結果うちの会社も出るわ出るわだったのです。

会社だけで2億9000万円の申告漏れ、社長、部長はいくらか解りませんが、多少くらっていたと思います。やはり全員営業マンですから、色々やって給料以外の収入はあります。つまりそれを申告してなかったということ。

そして私は…4,000万円分に掛かる申告漏れ。2,200万円が延滞と課税対象になるようで、全て取られてしまいました。ちなみにこれを拒否、隠ぺい、逃亡などを図ってしまうと告発、逮捕になるのです。

既に1,600万円を奪われ、更には表のお金で貯金していた600万円を追加で納めることに。腰が砕けました。これには本当に参りました。

計算するとつじつま合うんですよ。4,000万円を3年(36ヶ月)で割ると、1ヶ月あたりちょうど110万円になるんです。本当に裏金の額と一致するのです。

4,000万円手に入れて、半分税金を納める…残りの2,000万円は飲み歩いたり、馬鹿なことをして豪遊したお金でしょうね。

30歳を目前に2,200万円を奪われた気持ち解りますか?解ってくれますか?「食事が喉を通らない」という言葉、この時にたくさん使わせて頂きました。

結局、突入されてから丸三日間の間、会社に毎朝国税局員が現れ、夜遅くまで取調べを行ったのです。前述しましたが警察レベルの権威を持っている国税局、逮捕はできないものの、告発権を持っている為、下手な動きはできません。

常に向こうの言いなり、仕事の電話でさえ「極力取らないで」と言われ、がんじがらめの状態でした。最後は局員とタメ口トークになってましたからね。

国税 「これはいつものこと?」
私  「いや、覚えてないよね」
国税 「ここの150の月はどうして?」
私  「儲かったからじゃん」
国税 「誰かに譲渡したとか無い?」
私  「全部飲み代。あと買い物だね」

みたいな感じで(笑)

今思うと、何か高い買い物をするべきだったな、と。そして、私からどこかに払ったように見せかける人間、もしくは法人を立てるべきだったな、と思います。無知って本当に怖いですね。知らないことばかりです。

この日を境に、テレビや映画で「税」という文字が付くものは全て観るようにしています。忘れてはならないことですし、そのくらい稼いだ過去にしがみつきたかったんですかね?

もちろん最後には全てを洗いざらい話し、最後に30~40枚くらいの調書を取られました。私の一言一言が記録されて、いわゆる供述調書というものです。

とにかく腹の中では「ここからまた鬼のように稼いでみせる!」と思った私ですが、気持ちとは裏腹にどんどん痩せこけて行ったのでした。

皆様も考えてみてください。いわゆる自分の全財産を奪われた時、どんな気持ちになりますか?額はひとそれぞれですが、私は2,200万円を失いました。

ドラクエでいう「痛恨の一撃」に見舞われたのです。HPがもう1桁です…。食事どころではありませんでした。自宅に帰り子供の顔を見ると一瞬落ち着きましたが、現実に戻ると凹む…そういう日々が続いたのです。

ここでおそらく体重60キロを切ったと思います。身長は175cmあるのですが、それで60キロ無いというのは「痩せ過ぎ」の部類です。

以上、これが国税局ダイエットの全容です。

会社倒産、そして独立へ

倒産
さきほど会社に2億9000万円の申告漏れがあったと言いましたが、追徴課税はおよそ延滞など含めておよそ2億円。さすがに体力は残っていなかったようです。

社長は会社を立て直すべく人員整理から始めました。30人超の会社でしたが、戦力とみなす15名を残し、その他は解雇という扱いにしました。

もちろん可愛がっていた社員もいましたので、それはなんとも言えない思いでした。完全なとばっちりですからね。何の関係も無い社員達がいきなり職を失うということですから言葉になりませんでした。

しかし逆のことを言うと、切られるくらいの力しか無かった者、ということになります。これからはもっと実力を付けて、もっと頑張ってもらって欲しいものです。

人員整理を行った次は事務所移転ですね。会社は新宿の駅近にありましたが、渋谷と恵比寿の間に引っ越しました。すごく交通の便が悪いところ。私の自宅は池袋でしたので、通勤が嫌になりましたよ。

給料ももちろん全員ダウン。半分、とは言いませんが、額面120から80に落ちましたね。80だと諸々引かれて60あるかないかの手取りになってしまいます。今までと比べると35万円ダウンですね。

その前に、この状況になっても経営を続けようと判断を下した社長が立派に思えました。社長は私の3つ上。兄貴的な存在でしたね。

前の会社からずっと声を掛けられて、ずっと可愛がられてきました。当時は業界のカリスマに見えていましたからね。

そしてまた一から団結して頑張ろう!という体制は一度なりました。しかし周りが黙っていませんでした。新聞社、出版社、取引先代理店です。

「○○社、国税入ったんだろ?もうヤバいよな」などの噂が出回るともうアウトです。つまりイメージが悪くなって、取引中止などが起きて、広告スペースの仕入れが出来なくなってしまったのです。

さすがにこれは予想していませんでしたから、商売を続けるのは無理でした。ただの認識不足の「申告漏れ」なのに「脱税」していたと見られたのです。

「脱税」「所得隠し」などは芸能事務所などでニュースになる案件ですね。EXILEの事務所LDHもそうですよね。それほど大きな損失、損害になる今回の国税局調査だったのです。

そして国税局が来てから1年、私が31歳の時に会社は無念にも倒産してしまいました。最後まで頑張ったのですが力尽きました。

上3人、つまり社長、部長、課長の私は、事務所移転後8ヶ月は給料も出ていない状態でした。私以外の二人も国税局ダイエットの状態でしたね。

会社に残る負債は全て社長がかぶり、業界を引退しました。部長と私は独立の道を選択しました。独立すれば自分次第でどうにでもなる、と思った私は社長となり次なるスタートを切ったのです。

経営者となってもブレることなく、仕事に没頭しました。自分がこけてしまうと家族が路頭に迷うことになりますので、今まで以上に一生懸命、そして慎重に動きました。

前の会社から2名に声を掛けて社員として雇い、募集で新たに2名採用してスタートしました。広告は死なない。必ず稼げると自分に言い聞かせて。

働けば働くほど利益になるのが自営業でしたから、バランスを見ながら仕事をしていきました。そんなに「金、金」ではなく、家族の為に時間を割いたり、外で飲んでばかりではなく、社員と交流を深める動きなど行ったのです。

会社はすぐに軌道に乗り、前の会社では取引不可だったところとも交渉を重ねて取引できるようになったり、上向きになってきた頃です。

嫁が妊娠しました!

長男の時は正直リアクションに困りましたが、次男の時は嬉しかったですよ。普通に「家族が増える。もっと賑やかになる。もっと頑張らないと!」と純粋に喜んだものです。

嫁にも言い続けました。「絶対男の子頼む!」と。男なら自分でも世話ができます。女の子はわかりません。オシッコした後、女の子はどこを拭けばいいんですか?どこまでグイグイやっちゃっていいんですか?

変な話ではないですが、数年後、数十年後の将来を考えても何かと男の方がいいな、って思っていましたから。女の子はさんざんメシ食わせても、適齢期になれば旦那となる男にさらわれちゃうじゃないですか。

あとは私が母親より父親派でしたので。やはり親父は偉大。常に目標になる存在、頼れる存在。尊敬を惜しまない存在です。私も息子にそう思われたいのです。

男か女かわかるという日に「じゃ男頼む!」と言って自宅を出ました。そしてメールが来ましたよ。「やったね!男の子です!」と。

これが最後の嫁の仕事でした。後に話しますが、まだまだ私の人生は色々ありまして。神様は本当に私が大好きらしい。上げて、下げて、また上げて、最後にはどん底へ落とす…果たしてこれから上げてくれるのかなぁ?と。

次男、自閉症と診断される

兄弟

会社も順調に運転して、家庭も順調でした。年末はディズニーランドホテルに宿泊して年越ししたり、ハワイで年越ししたり、家族との時間を大切にしてきました。

こういう贅沢はいいですね。お金をキャバクラに捨てるより、子供達の記憶にお金を使うのは本当に気持ちが良かったですね。

今度こそ私の人生上がるのみだ!と考えていた矢先、またもや神様のイタズラ始まっちゃいました。次男が自閉症と診断されたのです。

普通は1歳半~2歳で言葉が出るものだと思いますが、次男はなかなか言葉が出ませんでした。成長は人それぞれですので「随分おっとり君なんだな」としか思わなかったのですが…

次男が3歳の時です。役所から3歳児検診の封書が届いたようで、嫁が病院に連れて行きました。そして泣きながら帰って来たのです。

私 「どうしたの?」
嫁 「親が話さないから言葉出ないのよ!って言われた」
私 「そんなん関係ないじゃん。ゆっくりでいいじゃん別に。気にすんな」
嫁 「もっと大きい病院で診てもらった方がいいって、言語障害とか癖になるって」
私 「そうか。じゃ行ってみよう」

そして、大きな病院に予約を取って診察してもらうことにしました。顔も普通だし、普通に歩くし、むしろ運動神経は長男より良かったので、本当に何も心配していませんでした。

まず小児科に行ったのですが、先生は診察というか観察していました。そして20~30分間の間、次男を見ながらカルテに何やら書いて、そして席を外しました。

すると、小児科の先生と共に、追加で二人の先生がやってきました。そしてまた数分間観察、そしてうんうんと頷いて、こう言われました。

「お父さん、これは自閉症ですね」と。

!?
自閉症!?嘘でしょ?…いやぁ言葉が出ませんでしたね。いつ治るか、などもない自閉症。薬が無い自閉症。確か電気を発明したエジソンが自閉症だったな、としか思い浮かびませんでしたけど。

自閉症とは大きく分けて3つ。細かく分けて10あると言われていますが、次男の正式名称は「広汎性発達障害」という自閉症の部類。度合いは中の中あたりに入るものと診断されました。

そこで言われて少し涙が出そうになったんですけど「少なくとも普通の小学校などに通うことは難しいでしょう」と言われて涙が出ちゃいました。

自閉症の特徴は幾つもあります。
・回るものが好き(男の子であれば自動車のタイヤなど)
・コミュニケーション能力に乏しい
・視線を合わせたがらない
・楽しいと思ったことは延々と繰り返す
・換気扇、掃除機、洗濯機などの軽騒音を嫌う

代表的なものを紹介しましたが、確かにうちの次男は全て当て嵌まっていました。後から来た先生は小児科の先生ではなく、児童精神科の先生。先生はこう付け加えました。

「誰が悪いとかないですからね。先天性のものですし、これから少しでも言葉が出るように頑張りましょう」加えてこうも言いました。

「自閉症は病気じゃありませんよ。個性です。健常者には持っていない感性も持っているんですよ。そういうところを早く見つけて伸ばしてあげてください」と。

まあ、その時どんな慰めを言われても放心状態はなかなか直らなかったのを覚えています。嫁は泣きじゃくるだけでした。次男はいつもと変わらず楽しそうにおもちゃで遊んでいました。

落ち込んでばかりではいけませんので、私は詳細に聞きました。今後どういったことをすれば良くなる方へ向かうのか?と。自宅に帰るまでに書店に立ち寄り、本も買い漁りました。

これといった治療方法も無ければ、付ける薬も無いのが自閉症の特徴ですからね。私には次男へたくさんの愛情を注ぐ以外、何も手立てはありませんでした。

とりあえず嫁が憔悴しきっていました。嫁だけでは心配ですので、仕事のボリュームを抑えて、週3仕事、週4家庭、というスケジュールで過ごすようにしました。

その間、週3日で療育など通うようにしました。世の中だんだん障害者に対して認知してくれているということで、そのようなサービスの場がたくさん生まれてきたのも嬉しかったですね。

少しでも話ができれば良いのですが、なかなかうまく行かずにくじけそうになりながらも次男に寄り添う毎日が続きました。

精神科の先生は診察の際、加えてこう言いました。
「あまり構い過ぎても本人の為にはなりません。観察してみて、こういう時こうだった、と
いうことを3ヶ月に1度報告にいらっしゃってください」と。

更には長男のことも気遣って頂きました。
「お兄ちゃんの方もきちんとケアしてあげてください。まだ小学1年生ですから、お忙しいと思いますが、お兄ちゃんとも向き合う時間を作ってあげてください」と。

次男の自閉症のパターンは言葉が出ないというのが一番で、人なつっこい部分はありました。基本的にこちらが心を開けば、次男も信頼してくれるといった感じです。

会社にもよく連れて行きましたが、うちの社員はとても可愛がってくれました。次男もそれに応えるように、みんなに甘えていました。

次男個人の最大の特徴は「脱走癖」があるということ。少しでも目を離すとすぐ一人でどこかに行っちゃうのです。ただ賢いもので信号は読めるんです。「青は進め」「赤は止まれ」は理解しています。

電車に乗って遠出することもありました。池袋から西武池袋線に乗り、大泉学園まで乗ったこともありました。110番通報で捜索願を出して、石神井署から見つかった旨の連絡が来るなど、とにかく好き放題でしたね。

その他にも、色々警察にはお世話になりました。池袋署、目白署、巣鴨署、界隈ではかなり有名です。デジカメで顔写真も撮影されて、すぐに見つかるように地域も協力してくれています。

3歳で既にパトカー5回は乗っていますからね。かなりの大物になりそうですね(笑)その際、警察官がかぶっている帽子をかぶりたくて、お巡りさんと帽子の取り合いをしていました。ウケました。

さて、私が仕事、そして長男、次男に掛かりきりでしたので、嫁が大変なことになっていました。気付くと育児ノイローゼ?育児鬱?のような精神病に掛かってしまい…てんやわんやでした。

次男の3歳児検診が春で、嫁がそうなったのがその年の年末です。一点病というんですかね?目がある一定箇所でずっと止まったままなんですよ。パチンッと手を叩き鳴らしてもその目止まりは治らず、過剰な薬摂取もしていました。

嫁が子供が好きではない方だとは知っていた(思っていた)のですが、ここへ来て次男の自閉症という追い打ち。長男も普通に小学1年生ですから、そりゃやんちゃ盛りでしたから、大変だったと思います。

最後の方は私が仕事から帰っても、食事がありませんでした。子供達はマックのハッピーセットを食べてたり、オリジン弁当を食べてたり、コンビニで買った惣菜などを食べていました。

そういった鬱による育児放棄、家事放棄にまで至ったということです。そういった病気は少なくないようで、産後鬱みたいなものはよく聞きますよね?出産後何もする意欲が湧かないという母親独自の病です。

そこで私は決心しました。嫁を楽させてやろうと。そうです。離婚を決意したのです。子供達の前で母親がそういうリアクションでは困ります。

せっかく次男を良くしていこうと思っているのに、不穏な空気を醸し出してもらっては困りますし、嫁自体にも自殺やリストカットなどの「万が一」が起こっても取り返しが付きませんからね。

嫁のお父さん、お母さんには経緯を説明して、しばらく療養するように伝えました。嫁本人も「私の人生終わった…」「もう何もする気がしない」などのネガティブコメントが出ていましたから。

国税局が入り、次男が自閉症と診断され、この回は明るいというか楽しい話はありませんでしたね。人生のターニングポイントを迎えた訳です。

心酔する布袋寅泰さんのある歌の歌詞の中でこういうのがあります。
「まずまずの人生をこのまま送るか?」
「二度と無い人生を求め続けるか?」
布袋さん!私はあなたと同じ後者です!

もう自分のメシどころではないので、この頃はついに55キロあたりになっていましたね。そうしてここから仕事<子育ての人生が始まっていきます。

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