【第二話】貧乏ダイエット

貧乏

ペコも10㎏痩せた!?人気の青汁ダイエット!!

社会人生活スタート

営業マン
さて、「上京ダイエット」の最後にお伝えしましたが、無事に広告代理店に入社することが決まった私。とにかく希望と不安、そしてまだ見ぬ自分の未来へワクワクしていました。

小さな代理店と表現しましたが、本当に小さいところでした。キャリアだけはあるようですが、数字が上がらず規模も創設のまま…という代理店でした。

とにかくここでは高校時代の野球部の延長のような感じがしました。アメとムチ、特にムチがハンパなく、社会人のイロハをとことん教え込まれましたね。

「しょうもねーところ入っちゃったよ…」と最初は思いましたが、ここが無ければ今の私はありません。本当に鍛えられ、多くのことを学びました。今では良い思い出、少しばかりの感謝の気持ちはあります。

しかし今の若者は付いて来ないやり方だと思います。私は野球をやっていましたし、先輩からのいわゆる「シゴキ」は日常でした。私も野球部時代、上の立場になった時、後輩でサボっている奴がいたらセミを食べさせていました(笑)

田舎の親父もおっかない人間でしたので、毎日怒られていましたね。ですので厳しい環境は慣れっこでした。少々のことは耐えられる体質になっています。

社会人になれば、もちろん「対大人」ですが、まともな人間もいれば、そうではない糞野郎もたくさん存在しますよね?ましてや東京です。色々な人間がいます。

「理不尽」がたくさんあるのは理解していましたが、想像以上、想定外の出来事だらけで、痩せるつもりは全くないのにここでも「自動ダイエット」を強いられる環境でした。

先に言っておきますが、結果的にここの代理店には3年間お世話になりました。石の上にも3年です。鬼のような環境の中、自分でもよく頑張ったと思います。

それではここでの生活を説明して行きましょう。

まず出社は朝10時。これは普通です。そこから社内の掃除をして、全員へコーヒー出し。これもまあ普通の会社。そして怒涛のテレアポ営業が始まります。

ちなみに新聞、雑誌の広告営業で、加えてパンフレットや各種DM、名刺印刷などの営業も行っている代理店でした。

ブラック企業、詐欺勧誘会社のように、常に電話。左手に受話器を持ち、絶対に放してはいけない。右手はダイヤルとノートにメモ、のような感じで。当時は一人一台PC設置なんてナイナイ。

今は既にお亡くなりになっていますが、当時の社長は
「とにかく電話をかけまくれ~!」
「会社にいるんじゃね~!アポ取って、外を走り回るのが営業じゃ~!」
と言いました。

とにかく電話でアポを取り、クライアントと商談をしてこい、と。社内で電話をしている時も私の背中後ろからプレッシャー。電話が終わった時にあーだこーだ、チクチクとまたプレッシャー…。

しかし広告の仕事なんてそんな簡単に取れるものではありません。ましてや私が営業していたのは数十万円の媒体ですから、時間が掛かってしまうのは当然なんですね。

もっと解り易く説明しますと、1P30万円で出版社から仕入れて、40万円で売るといった単純作業です。…初めの頃は全然単純作業ではありませんでしたが。

その社長は更にこんなことも言っていました。
「1箱400円のタバコを450円で売ってくる奴が営業マンだ!」

なるほど。コンビニや自販機で買えば400円なのに、450円で売れる奴はどのような方法で50円の付加価値を上乗せできるのか?ということです。

そいつから買ったらいくら50円高くても後にメリットが待っている、利益をもたらしてくれる…、営業とはそう思わせないといけないということですね。

このように、広告のスペースを売る為に考えて、自分なりの精一杯の営業トークを繰り広げる毎日が続くのでした。

ちなみに給料は17万円+交通費。もちろんそこからの色々引かれるパターンで13万円残ったかどうかという収入となりました。こちらも先に言っておきますが、実に2年間これでやりくりしていました。今思うとゾッとします。

貧乏食生活



まず貧乏になって、何を節約しなければならないかと考えたら…私の場合は「食費」でした。今でこそ「1食数十円!」と格安レシピが連日メディアで紹介されていますが、当時はそのような情報はありませんでした。

加えて、今でこそシングルのおかげで料理が作れるようになっていますが、当時は炊飯器でご飯を炊くしか能が無かったので、策が無くとても辛かったですね。

まず私が行ったのは今も存在する商品、エースコックのスーパーカップ1.5倍カップ麺です。確か130円~150円くらいだったと思いますが…今はいくらでしょう?

基本カップ麺は好きではありませんので、あまり詳しくありません。いや、こういう生活をしていたから、カップ麺が嫌いになったのかもしれません。

会社休みの土日は必ず今から説明する用法で食べ過ごしていました。満腹感はある程度ありましたが、満足感ゼロのカップ麺レシピです。

朝 「かやく」を入れずに、スープを入れて熱湯を注いで麺だけを食べる。スープを飲んではいけない。

昼 残していたスープにご飯を注ぎ込んで、「雑炊」として食べる。

夜 「かやく」を具にして炒飯を作る。

これだとカップ麺とごはん2合で済みます。これをベースにもっと贅沢に行きたいのであれば、朝の段階で生卵を落としてみたりだとか、昼にネギを刻んで入れてみたりなど、バリエーションは豊富です(笑)

しかし、はっきり言って3日で飽きますし、食べている最中に少し凹んできます。非常に情けなく思えてくること間違い無しです。

貧乏と言いますか…与えられたお金の中で生活をしていかなければなりませんでしたので、かなり窮屈に食費を削ったのを覚えています。

カップ麺だけではなく、パンの耳もよく食べたものです。蓮根駅前にパン屋さんがあったのですが、そこからパンの耳や各種切れ端をもらっていました。



パン獲得する為の文句は次の通りです。
「すみません。うちウサギ飼っているんですけど、捨てるやつで構わないのでありませんか?」という具合いに。ベタベタですよね(笑)

きっかけはそのような感じでしたが、もちろんたまには普通にお金を出して買う時もありますので、賞味期限寸前の惣菜パンなどももらっていました。

今思うと、ここのパン屋のご主人には助けられましたね。おそらく途中で「どうせお前が食うんだろ?」的な感じでバレていたと思いますが(笑)

持ち帰ったパンの耳は、オーソドッグスに砂糖をまぶしてカリカリまで焼いて食べます。油を大量に使いたくなかったので「揚げる」ではなく「焼いて」調理しました。

他にはマヨネーズやマスタードを付けてそのままモグモグと戴きます。カレーを作った日はごはんを炊かずに、パンの耳を付けてナン風にして食べました。

当時は栄養面など全く考えずに、とにかく腹いっぱいになればいい、と思ってやっていましたが、やはり栄養は無かったのでしょうね。みるみるうちに体が軽くなったと自分でも感じるほど痩せましたから。

野球少年だったと言いましたが、中学の時に3本、高校の時は1本、一応ホームランを打ったこともあるんです。

それなのに痩せてしまった俺の肉体…。か弱く細くなった腕…。金が無いって悲しいな。貧乏って本当に辛いな、と感じた時期でしたね。

いずれにしても望んでやっているダイエットではなく、仕方なくダイエット生活を強いられていた形ですので、なかなか厳しい毎日を過ごしていました。

前述しましたが、私は「忍耐」が取り柄と言いますか、少々辛いのに関して耐えられる精神力を持ち併せています。とにかく我慢は苦ではありませんでした。

自宅ではこんな感じの食生活でしたが、会社では一切自分からは食べようとは思いませんでした。もちろんお金の節約と、あとは意地でしょうか。

意地とは、やはり入社早々のペーペーが、何お気楽に昼休み取ってメシ食ってんだ!と思われたくないですし、逆に私もそう思ってしまう体育会系タイプでしたので。

該当する方いらっしゃいますよね?そうそこのあなた。仕事も出来ないのにしっかり休憩してんじゃないよ。見てる人は見てるよ。おっと、毒付いてしまった。

「ブラック企業に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」は大歓迎

残業
仕事は23時~24時までやっていました。もちろん広告のテレアポをずっと延々と。電話は日中の方が繋がりやすいに決まっていますが、夜は夜の商売の方へ営業していました。いわゆる、キャバクラ、居酒屋、風俗系などですね。

池袋ならいいのですが、歌舞伎町のキャバクラにもお客さんはいました。仕事内容は名刺やDM、キャストのバースデーカードなどの印刷です。

24時頃、もう仕事を終えて帰宅準備をしていると電話が掛かってくるんです。キャバクラ店からの名刺オーダーです。

「あ、ごめん、今すぐ○○ちゃんの名刺100枚持ってきて!」なんて日常茶飯事でしたよ。

現在は小池百合子都知事ですけど、当時は石原慎太郎都知事。石原都知事は東京都の夜の街の風営法を見直したので有名ですよね。

当時は無制限だったキャバクラ営業時間を、25時(AM1時)までとしたのは石原都知事です。とにかく綺麗な東京都にしたかったということですね。

しかしその法が施行する前でしたので、キャバクラはバリバリの営業時間。自分の携帯に電話がバンバン鳴る訳ですよ、夜中2.3時に。あいつら本当にナメてんな。と。

「あ、ごめん、寝てた?動ける?」
お客さん第一主義でしたのでもちろん
「お疲れっす!大丈夫っす!これから向かいます!」
と、私も野球部のノリ出しちゃうんです…。

そして帰りの電車が無くなるのを覚悟して、池袋から歌舞伎町まで自転車配達。ここでも腹減った…、また痩せるな…と思ってペダルをこいでいました。

前日こんなことありました、だから遅刻します。というのは鬼社長には通用しなかったので、次の日もきっちりと朝10時に出社。しんどかったですね…。メシ食わず、寝ずの生活は本当にきつかった。

一度だけ出勤時に経由する巣鴨駅で山手線に飛び込もうと思ったことがあります。でも普通に止めました。親に迷惑がかかるから(笑)でもそのくらい追い込まれてたのは事実ですよ。

当時は18:00頃にこう思っていました。「今日もやっと折り返しだぞ…」アベレージ的には10:00~25:00の15時間労働、というか拘束。鬼社長も居場所が無いのか無駄に会社が好きで、なかなか自宅に帰ってくれなかったんです。

「ブラック企業に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」という映画がありましたが、まさにタイトル通りの会社でしたね。しかし私は大歓迎。もっともっと自分を鍛えてください!と思ったほどです。

全ては自分の肥やしとなり、武器になっていく。全然大歓迎です。こういう会社があったからこそ、色々なことを学べたのは事実ですし。

こうやって半年間は地獄のような日々が続き、それからは少しずつですが広告の仕事も増えてきました。コツを掴むとトントン拍子でしたね。

印刷なんて「おまけ」です。広告の仕事が無かったので、仕方なく印刷をしていたのです。広告業が忙しくなれば、深夜の自転車営業など行かなくて済みます。不景気と言われながらも、広告代理業もまだまだ行けると思ったものです。

「広告って意外となんでもアリなんだな」と感じてからはどんどん仕事が面白くなってきましたね。あとは「この商売間違いなく稼げる!」とも確信を持ちました。

たくさんお金を使ってくれるいわゆる「太客」を獲得した時は、かなり気合が入りましたね。それまで他の代理店で掲載していた広告デザインを一新させたのです。見た目がパッとしなかったので、これじゃおそらく反響も無いだろうな、と思ったのです。

営業と企画、やり甲斐ありましたね。自分の力量でお客さんの売上が左右するんですよ。今でも思います。広告代理店ってとても魅力的な仕事です。

広告の営業とは、ただ売るだけではありません。掲載媒体、掲載日、掲載場所を決定して、1本でも多くの反響を獲得する為に、告知内容や読者層に沿ったデザインを決めて、原稿製作も行うのです。

原稿に載せる写真などを撮影するのも代理店の仕事です。しかも大体これら撮影は土日や平日深夜に行われることが多く、入稿日時期になると一切休日が奪われます。

上京してからそれまで、特に友人などはいませんでしたので、休日にこれをやるという予定もありませんでした。特に休日が無くなるということに関しては苦ではありませんでした。

もちろんそういった撮影日などは、大体クライアントさんと一緒ですから、食事はご馳走になっていたものです。そう考えると「休日出勤もそんなに悪くないな」と思えましたね。

こういった風に毎日が目まぐるしく過ぎて行きました。1年が経ち、2年が経ち、ついには1ヶ月で3,000万円の広告を売る営業マンになっていました。

オファーが来る来る!~社長と対立

お金ほしい

どこの世界もそうなのですが、ある程度の成績を残せば、同業他社から多くの誘い話が来るものです。私も例外では無く、この頃は毎日のように取引先代理店からの移籍話が尽きませんでした。

まさに営業マン冥利に尽きるといった感じでしょうか。頑張って来た甲斐があったというものです。前述しましたが、売上が3,000万円ということは、20~30%利益で700~800万円残していることになります。

社長がよく言っていました。
「給料の5倍は利益を出せ!」と。既にこの頃余裕で叩き出していました。と言うか、給料の30倍以上の利益を会社に残していました。

私は待つタイプでは無く、攻めるタイプですので、もちろん社長には文句を言いました。自分の評価はどうなっているのか?と。

これまた前述しましたが、17万円+交通費での給料で2年間やってきました。もう一端の営業マンですから、経費も使えましたし、食事もほぼクライアント出しの日が続いて、自身でお金を使うことはほぼ無くなりました。

しかし、綺麗事を並べても所詮は「世の中、金」です。お金が嫌いな人などいないでしょう。私もそれなりの評価を期待していましたが、結局社長からの提示は5万円UPでした。

確かに広告は浮き沈みが激しい業界ですが、2年頑張り、直近1年は安定した数字を叩き出している訳ですから、倍くらいは妥当だろう…と思っていたので、完全な肩透かしを食らった感じでした。

社員旅行でも沖縄へ1週間行きました。これまでではこの会社では考えられないことです。私は完全に「会社が潤って来てるな」と感じました。

私も人間ですから、まず社長からのその提示を聞いてから、他の取引先の社長さんなどと話を重ねていました。プロ野球で言うとFA宣言して、他球団との交渉に入った、ということになります。

最近の美談だと、広島東洋カープの黒田投手が、ニューヨーク・ヤンキースの20億円を蹴って、4億円で広島東洋カープに戻った、という話があります。

私にはどうしても黒田投手が理解できません。20億ではなく、4億の年俸を選んだことが信じられませんでした。しかし「広島カープ愛」以外何物でもないでしょう。私は鍛えてくれた社長に対して、そして愛社精神が無かったとは思えませんが、それにしても評価が低いのではないか?と感じました。

モヤモヤしたままでの仕事はパフォーマンスが落ちます。態度にも出てきます。社長との確執にも繋がってきます。たかがお金、されどお金、お金の問題で全てが悪循環となっていったのです。

そして給料が5万UPして半年、入社2年半の頃、私は社長に辞職を切り出しました。もう既にこの時はいくらお金を積まれても辞めるつもりでした。私の中で社長は、人間的にNGとなっていたのです。

本当に必要であればお金を準備するはずですし、こちらが言わなくても会社から恩恵があってもおかしくない状況でしたので。

すると社長は更に10万円UP(UPしても32万)と専用営業車を準備すると言ってきました。しかし断固として私は拒否し、会社を去る覚悟の旨を説明しました。

「今付き合っているクライアントは持っていきます。独立するか他に移るかまだ決めていませんが、もう辞めることは揺るぎありません。今までお世話になりました」

クライアントを持っていくということは、この会社に売上が残らないということになります。社長は今までに見たことの無い凄い顔をしていました。

しかしすぐに理解を示し、納得してくれました。そしてすぐに募集をかけて新入社員を入れるので、退社までの半年間で指導してやってくれ、という言葉を頂きました。

約束通り辞めるまでの半年間の給料は10万円UPし、自家用兼営業用の車も準備してもらいました。「やればできるじゃん」と思いました。加えて「早くやってくれてたらなぁ」とも思いました。

私はその年の11月に会社を辞めました。「丸3年」というのにこだわりがあったので、あえて入社した日に辞めることにしました。

でも最終日、送別会の夜はさすがに涙がこぼれましたね。走馬灯ですね、まさに。辛かったこと、そして自分が大きくなったこと、思い出しちゃいまして。

そしてその年の年末に社長は脳腫瘍が見つかり、手術の為に長期入院しました。一度は退院しましたが、入退院の繰り返しで私が辞めた5年後にお亡くなりになりました。

もちろん違う会社でしたが、連絡を受けて葬儀には参列させて頂きました。この社長がいなければ私は、広告はもちろん、多くのことを知らなかったままですから。

憎かったですが、愛すべき社長でした。少しケチで、いや、かなりケチで銭ゲバでしたが、そういった人じゃないと経営者にはなれませんからね。

ちなみに社長が亡くなっても今もその会社は健在です。奥様が継ぎ、会社の規模も少し大きくなっていると聞いています。私がいた時から10年以上経っていますのでスタッフは総入替していると思いますが、長く続いて行けばいいと思っています。

貧乏から脱出。逆転人生始まる!

1万円札

タイトルは「貧乏ダイエット」ですが、会社を辞めて移籍してからはお金に困ることはまず無くなりました。何しろ給料が4倍にもなったからです。

いやらしい話、最終給料32万円から、一気にジャンプアップして1ヶ月120万円というビッグマネーを掴み獲りました。やったぜ!

本当に3年間遊ばずに一生懸命やってきました。今でも下の子には伝えます。「何事にも3年は我慢しろ」と。短い人生ですが、3年間くらい死にもの狂いでやってみなよ、と後輩達には伝えます。

確かに辛い時期はショートカットしたいものです。しかし無駄だな、と思ったことでも後になれば「あの時頑張ったから今がある」と思えて来るものです。

経験者が語っていますので間違いありません(笑)代々木公園で寝たことをネタにして、上京からヒモ生活、貧乏時代から年収1千万までの話をするとみんなから「ドラマが出来る」とよく言われます。

自分でも思います。これだけのノンフィクション、よく経験してここまでやってきたな、と。しかしまだまだこれでは終わりません。私自身まだ人生の途中ですし、こんなレベル序の口です。

さて、これまでは貧乏で自動的にダイエットを強いられてきましたが、ここからはお金がある故に痩せてしまうダイエットの話をしていきたいと思います。

果たしてどんな痩せる話が出て来るのやら。貧乏から脱却して逆転人生が始まろうとしている訳ですが…それではお楽しみに!

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